昨日は、「倉持麟太郎『このクソ素晴らしき世界』 #15 「司法をデザインする~あまり知られてない、この社会を変えるための簡単な“しくみ”のおはなし~」
として、政治に絶望している倉持が、司法のデザインを通じてくらいしか何かを変えられないのではないかとの思いから、現在の司法権、裁判所、最高裁判所を「司法政治学」という最近注目されている視点から分析いたしました。
そもそもなんですが、最高裁は①地裁からの民刑事事件の最終的な審判廷、or ②違憲審査機関
のどちらに比重をおくべきでしょうか?
日本では明らかに①に重きをおいてきました。
では、なぜ違憲審査機関としての機能が弱いのか
・忙しいから
・人事に問題があるから
・民主的正統性が弱いから
・専門性が低いから
・違憲審査機関としての意識が低いから
等々が考えられていますが、これらは実は日本社会の縮図なのです。
司法を通じて、日本社会の問題やアイデンティティに迫ってみたいと思います。
是非、皆さんともこんな議論をしたいので、ご覧いただければ!
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